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天知る 地知る 汝知る
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2008/9/20

世間一般の方はもうそろそろピンク・フロイドのキーボーディスト、リック・ライトの追悼儀式は終えているんではないかと思うんですが、そういう世間の波に乗れず僕は未だに追悼モードです。

う~ん、それにしても無念の一言。
ロック界には数々の超名キーボーディストがいるけど、リック・ライトのような個性を持っている人は他にいないのではないか。
そして、その個性がこの超ビック・バンド、ピンク・フロイドにどれだけ重要な位置を占めていたかは、彼らのこの1969年の2枚組アルバムを聴けば明白である。

Disc one: live album

1. Astronomy Domine (Syd Barrett) – 8:29
2. Careful with That Axe, Eugene (Waters/Wright/Gilmour/Mason) 8:50
3. Set the Controls for the Heart of the Sun" (Waters) – 9:15
4. A Saucerful of Secrets (Gilmour/Waters/Mason/Wright) – 12:48
   Something Else
   Syncopated Pandemonium
   Storm Signal
   Celestial Voices

Disc two: studio album

1. Sysyphus (Wright) – 13:26
   Part 1 1:08
   Part 2 3:30
   Part 3 1:49
   
Part 4
6:59
2. Grantchester Meadows (Waters) – 7:26
3. Several Species of Small Furry Animals Gathered Together in a Cave and Grooving with a Pict (Waters) – 4:59
3. The Narrow Way (Gilmour) – 12:17
   Part 1 – 3:27
   Part 2 – 2:53
  
   Part 3
– 5:57
4. The Grand Vizier's Garden Party (Mason) – 8:44
   Part 1: "Entrance" – 1:00
   Part 2: "Entertainment" – 7:06
   Part 3: "Exit" – 0:38

アルバムは1枚目がライブ音源、2枚目がスタジオ録音、と言う変則的な構成になっているが、特にライブ音源においてライトのキーボードがどれだけフロイドに必要不可欠であったかを如実に語っている。
個人的にはこのアルバムのライブ音源が他のどのアルバムより一番ピンク・フロイドらしい姿ではないかと思っているんだけど、この怪しげで危ない雰囲気を作り上げているのがライトのキーボードなのである。
そう、極端に言ってしまえば、ライトのキーボードこそピンク・フロイドなのだ。(繰り返し断りますが、「極端に言ってしまえば」と言う事です。)
このバンドの初期はシド・バレットと言う天才によってその狂気の世界を表現してきた。そして彼の脱退後、ロジャー・ウォーターズによってそれは引き継がれ形を変えて作り上げてきた。
しかし、その違った世界観の橋渡しはニック・メイソンの大海のようなうねりのあるドラムとライトの霧が霞むようなキーボード・サウンドによってなされたのは間違いのない事で、特にライトの存在が大きな鍵を握っていたように思う。
それは、このアルバムのライブ音源の構成にシド・バレット・フロイドの頃の曲「Astronomy Domine 」の演奏が収録されてる事によって良く聞き取る事が出来る。
これってシド・フロイドに決別を告げながらもそれを引きずっているバンドの姿が浮き彫りになってくるんだけど、ここでの音世界を牛耳ってるのは明らかにライトのキーボードだし、それはその後の3曲でも変ることなく世界を包み込んでいるのだ。
「A Saucerful of Secrets 」は「宇宙の創生を表現している。」と友人の友人が語っていたが、一歩踏み込んでこれは「地球創生から人類の誕生まで。」を表現しているのではないかと考えるんだけど、(或いは単に「生命の誕生」かもしれない)一番感動的な部分はライトのハモンド・オルガンなのだ。(ギルモアのスキャットだ!という説もある。)
兎に角、ライトの存在がどれだけピンク・フロイドにとって重要であったのかという事を理解していただけたのではないかと思います。

スタジオ録音の方はメンバー各自のソロの作品集的な趣きがあるんだけど、ここでもライトの作品「Sysyphus」は異彩を放っている。(う~ん、...、これはどうかな...。各自可也個性的で実験的な事をやってるからな~...。)
ピンク・フロイドの持つ現代音楽的なアヴァン’ギャルドな部分を請け負っていたのは、実はライトだったんじゃないかと思ってしまうんですな~、この作品を聴くと...。


...もうそろそろ時間だな...。(出かけなくてはいけないので。)
では、急ぎでもう少し...。

今回はリック・ライトにスポットをあててこのアルバムを聴いてみたけど、もちろん他の3人も凄い仕事をしていて、やはりこの4人がいてこそピンク・フロイドなのだな~と痛感した次第でして...。

いや~、実に素晴らしい。

あと...蛇足なんですが、メイソンの「The Grand Vizier's Garden Party 」のパート2の冒頭のパーカッションの部分が、ブルース・リーの映画「ドラゴン危機一髪」のサントラでパクられていたって知ってました?
どうでもいい話...。

ところで、このアルバムの日本語タイトルは「馬熊」もとい!「ウマグマ」だけど、アメリカ人に「ウマグマ」って言っても通じませんよ。
昔バンドの友達とフロイドの話をしていて、一生懸命「ウマグマ」って言ったんだけど通じず、結局最後に「あ~、アマガマか~。」って言われた事があるんっす。
アルファベットの「U」が最初に来ると大概「ウ」とは発音しないでしょ。
「Us」は「ウス」とは言わないし「Under」を「産んだー!」もとい!「ウンダー」とは読まないように...。
じゃなんで、「ウマグマ」なんてつけたのか?
これ、実は本当は冒頭に言った「馬熊」なんじゃないかな~?なんて思っている 今日この頃なんです。
いや~、またどうでも良い話をしてしまった...。




では最後に...。

心よりリック・ライト氏の冥福をお祈りいたします。
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3/1/2008

3月ですね~。
ここ数日暖かくなるようで、春の気配をチラチラ感じる気さえします。

僕はどう言う訳だか、エルヴィス・プレスリーをむしょうに聴きたくなるときがあるんです。
どのアルバムでも良いんですが、ここ数日気候のせいかこの1963年の除隊後のエルヴィスのアルバムを聴いていました。

It's Now or Never
Stuck on You
Fame and Fortune
I Gotta Know
Surrender
I Feel So Bad
Are You Lonesome Tonight?
(Marie's the Name Of) His Latest Flame ...
Little Sister
Good Luck Charm
Anything That's Part of You
She's Not You

僕は基本的に初期のロックン・ロール・エルヴィスも、除隊後のハリウッド・エルヴィスも、ラスヴェガスでディナーショーで頑張っていた揉み上げエルヴィスも、どの時代のエルヴィスもそれぞれ好きなんです。
ジョン・レノンはエルヴィスは軍隊へ行って死んでしまったと言っていました。
確かに除隊後のエルヴィスには「飼いならされた」観はありますが、その状況の中でも彼の放っていたオーラと言うのは普通のスターとは一線を画していたように感じます。
また楽曲的にはロックン・ロール一直線だった時代からの彼なりの成長であったように思います。
言ってみれば、ビートルズも初期のロックンロール・バンドだった時代から「イエスタデイ」のヒット辺りから音楽的成熟が始まっていった訳です。人によってはそれを「軟弱になった」とか言っていたかもしれません。
レッド・ツェッペリンなんかもサード・アルバムでアコースティックを大胆に取り入れ、ハード・ロック・ファンをガッカリさせた事もありました。
音楽的成熟は時には軟弱な印象をファンに与える事もありますが、アーティストにとってはある通過地点であったりする訳です。
なのでこの除隊後のエルヴィスも僕には音楽的に十分楽しめ、エルヴィスの初期とは違った魅力が一杯なのであります。
特にアルバムのオープニング・ナンバーでイタリア民謡の「オーソーレミーオ」をアレンジした「It's Now or Never」が今でも大好きで、この時期のエルヴィスの代表曲のひとつだと思っています。


2007/12/27

昨晩は久しぶりに寝る前に音楽鑑賞などした。
ディランのアルバムを聴きながら、彼の発する言葉のイメージを必至に追いながらその世界に酔いしれていた。
僕は曲がりなりにもアメリカに16年住んでいるので、英語の曲を聴いているとその歌詞を実感で捉えられる用になってきている。(勿論100%理解などしておりませんが...。)
そして音楽における歌詞の比重あるいはその意味する事の重要さを考え、その言語を理解しない人々にとってその曲の存在と言うのは、本来持っていた価値を軽減するものなのだろうか?などと自問自答していた。
確かに中学生の頃ジョン・レノンが彼自身の曲「It's Only Love」をこき下ろしていた事を理解できなかった。(ジョンは歌詞が特に酷いと言っていた。)この曲はメロディアスでとても美しい曲だったし、僕にとって歌詞は二の次だったからだ。
しかしながら、今現在はジョンの言っていた事が非常に納得できる。
確かにこの曲は聴いてるとちょっと恥ずかしくなる...。
ではやはり言語を理解しない人にとっては、その曲の本来の姿を捉えることは無理なのだろうか?

と言う事で昨晩ディランを聴いた後、フレンチ・ポップの大スター、ミッシェル・ポルナレフ、1966年のこのファースト・アルバムを聴いてみた。(う~ん、ディランでフレンチと来ればゲンズブールなのでしょうが、僕は未だゲンズブールには行っていません...。)
フランス語は大学生の時に授業を取っていたが、全然勉強しなかったので全く分からない....。
つまりミッシェル・ポルナレフを聴いている僕には、彼の発している言葉に言語としての理解は全くなく、それは単に「音」の一部でしかないと言う事になる。
う~ん、ではインストを聴いているのとあまり変らないのだろうか?
いや~、しかし「Sous Quelle Étoile je suis Né」のイントロのアコースティック・ギターの音に導かれてポルナレフの歌声が響き渡ると何とも言えぬ気分にさせられる....。
何を言ってるか分からないけど、このフランス語の響き....。
言語の理解を超えた何かを感じるのは、単なる錯覚なのだろうか?

幸か不幸か2曲目の「Time Will Tell」は全編英語の曲。
歌詞はKeith Reid と言う人が書いている。

えっ?

Keith Reidって、あのProcol Harum の Keith Reid?

...それはともかく、この英語の曲にはポルナレフの魅力が明らかに低下してしまっている僕は感じる。
はっきり言ってどうでも良い歌詞の内容が露呈されていているだけで、僕には理解できないフランス語の曲の謎めいた魅力がなくなってしまってる。言葉がイメージを広げるのに力を貸してくれるのとは逆に、言葉によってイメージが制約され自由な発想を妨げているようにすら思える。
おそらくKeith Reid自身そんなに真剣に取り組んでいなかったんではないだろうか....。

そしてポルナレフの代表曲と言っていい、「Love me Please Love me」はサビのみ英語で他はフランス語で歌われると言う、日本の歌謡ロックが良く使う手が見事に行われている。
フランス人はプライドが高く英語を話す事が出来てもフランス語を通すと言う事を良く聞くが、ポルナレフのこの行動はフランスではどのように受け入れられたのか興味深い所だ。
しかしながら僕個人の意見としてはこれは見事に成功していると感じる。
クラシカルでありブルージーであるピアノのイントロに導かれ、何とも単純で直接的だけど切実な訴えがとても効果的な Love me Please Love me と言う歌詞...。
そしてエロティックな印象さえもかもし出すフランス語がオールディーズ風の曲調にのって耳に入ってくると、何故か切ない気分になってくる。
この感覚と言うのは歌詞を理解できないとしても非常に大切なものなんではないかと思う。言葉には出来ない、言葉では伝わらない、人間の感情と言うものはあるわけで、音楽と言うものはそれを補足するのに大いに貢献していると思う訳なのだ。

L'Amour avec Toi」は歌詞がエロティックすぎるので、フランスのラジオでは放送に制限があったとか...。
ここら辺は、歌詞の意味するところを感じ得ない人々にとっては、どれだけ重要な意味を持つものなのだろうか?
アメリカでは一時日本語で書かれたデザインの洋服などが流行ったが、「足」と書かれた野球帽をかぶってるお兄ちゃんを見たときは思わず噴出してしまった。
恐らくこのお兄ちゃんにその意味を教えた所で別に何も思わないだろう。
それは言語を体感していないからで、その意味するところを知ったとしても大した違いがないからだ。
言語の理解はその音の響きと直結した生活によって導かれるものなのだと思う。

アルバム最後を飾る「La Poupée qui Fait Non」では当時セッション・ミュージシャンであったであろうジミー・ペイジがギターを弾いているとか...。


と言う豆知識はどうでも良いんですが、


じゃあ、言語の理解と言うのは音楽を聴く上でどれだけ必要で意味を持つものなのか?と...。
ずっと話してきた訳ですが。

う~ん、そのモヤモヤな部分はポルナレフを聴いた後でも結局は答えが出ていませんね。

なんじゃそれ...。


2007/10/24

今日は夜からの出かけるけど日中仕事無し....。
と言う事で、ブログ更新してます。
何だかんだ言ってブログに好き勝手な事を書くのはストレス解消になる。
特に自分は好きな音楽の事を書いてるだけだからね。

昨日寝る前にクイーンの1976年のこのアルバムを聴いた。
う~ん、「A Day at the Races」と言うタイトル。
毎日僕もニューヨークの街でレースに参加して居りますが...(笑)

このアルバム・タイトルからもジャケットからも前作「A Night at the Opera」を意識して作られたのは一目瞭然。



「A Night at the Opera」→夜、このジャケットが白を基調にして
「A Day at the Races」→日中、が黒を基調にしているという相反したイメージが面白い。
アルバムの中身も前作に呼応したような作品作りがされているけど、あまりにもアルバムとして完成された前作に比べ、このアルバムでは1曲1曲に比重が置かれているような気がする。
僕は個人的にクイーンではセカンドとこのアルバムが断然フェイヴァリットなんです。
昨日も聴いていてあまりの音の美しさ荘厳さに心打たれ涙してしまいました。

例のブライアン・メイによる凄まじいギター・オーケストレーションに幕を開け、クイーンならではのハード・ロック・ナンバー「Tie Your Mother Down 」でブチかまされると、いかに40歳を越した親爺と言えど頭の中はヒートして興奮の嵐と化してしまいます。
う~ん、Tie Your Mother Down...。
自由になれ!或いは、自立しろ!と言う事でしょうか。
間違えても興奮して母親を縛り上げないで貰いたいものです....。

そしてフレディ作の「You Take My Breath Away」。
これが美しい!!!!
溜息が漏れてしまいます。
彼のピアノの繊細な音、そして彼にしか表現できないだろうヴォーカル。
どれを取っても素晴らしい。
これは今考えると同性の人に向けられたラブ・ソングなのかも知れないけど、そう言ったフレディの個人的な意志があったとしてもそれを超えてもっと普遍的な「愛」を感じさせる超名演でしょう。
いや~、素晴らしい。

う~ん、そして僕のクイーンのファヴァリット・ソング「Long Away」。
ブライアン・メイによる名曲ですね。
前作の「39」に呼応したようなアコースティックを基調にした作品だけど、このクオリティの割りに殆ど話題に上がらないので僕はいつも????...なんです。

You might believe in heaven
I would not care to say
For every star in heaven
There's a sad soul here today

反宗教と言うのではなく、絵空ごとではない現実を見据えているブライアンの姿が目に浮かび、自分が恥ずかしくなり頭を丸めてしまいそうになります。

いや~、凄い。

「The Millionaire Waltz 」は前作の「Bohemian Rhapsody 」に呼応してるのかな?
流石に前作を凌いでいるとは言えないけど、この曲におけるブライアン・メイのギター・オーケストレイションは可也凄まじい物があります。

「You and I」ではジョン・ディーコンがやはり前作の「You're My Best Friend 」に対する形で曲を書いているが、前作ほどの成功は見せていない。
ジョン・ディーコンの曲って何だか歌詞がたどたどしいって言うか、素人っぽいって言うか、逆に言うととても新鮮な印象を受ける。

「Somebody to Love」は有無を言わさぬ名曲ですな。
フレディって何かこうこの曲のようにとても痛いラブ・ソングが多いね。
悲しいとか辛いって言うより、痛いって感じ....。
ただ痛さの向こう側も同時に見せてくれてるって言うか...。

「White Man」はこれまた前作の「The Prophrt's Song」対応かな?

A man who learned how to teach
Then forgot how to learn

と言う歌詞が印象的です。

「Good Old Fashioned Lover Boy」はクイーンならではのポップ・チューンだな~。
こういう曲がアルバムに存在しているって言うのが嬉しいね。
ただ重かったり何か斬新なだけじゃなくてさ。
とってもホッとさせてくれる1コマを用意してくれているみたいな...。
大好きな作品です。

「Drowse」ロジャー・テイラーの曲だけど、珍しくアコースティック基調のうねりのある佳曲。
ロジャー・テイラーの作品の中では可也言い出来だと思います。

そしてエンディングはブライアンの作品「Teo Torriatte (Let Us Cling Together)」
僕はこの曲はつい最近までフレディの作品だとず~っと思い込んでいた。

サビの部分の歌詞

In the quiet of the night
Let our candle always burn
Let us never lose the lessons we have learned

「White Man」でも出て来た「learn」と言う言葉。
心に残ります。
年齢に関わらず人間は常に「learn」し続けるべきなんでしょう。

このアルバムを聴いて改めて「learn」したような気がします。


2007/5/25

いや~、暑くなりましたな~。
もう今日は真夏日だね。
明日から世間一般(アメリカでの話し)はメモリアル・デイの3連休。
天気に恵まれて最高ですな。
しかし残念ながら僕は明日のみ休みで、日曜と月曜はフル出勤。
まあ僕のやってるような仕事は働ける時に働いとかないと...。

こういう暑い日には食欲が減退しサッパリしたも以外食べたくなくなるように、音楽もゴテゴテでへヴィーなものより爽やかでライトな感覚のものの方を聴きたくなってくる。
なので今日僕は仕事に軽音楽ものCDをずらりと持参して、待機時間に聴いていた。
しかしながらこの手のものはず最初は良いんだけど、僕の性格上ず~っとは聴いていられない。
他に何か持って来て無かったかな~?っとCDケースをパラパラとめくっていると...。

あった。
ありました。

ご存知ピンク・フロイド1970年の超名作。
ず~っと前の記述で、アルバムに漂う季節感と言うものに触れた事があったが、僕にとってこのアルバムは「夏」に他ならない。(お~っ、今日みたいな日にはピッタシじゃないっすか~。)
収録曲のタイトルからもアルバム全体に「夏」の空気が漂っている事は一目瞭然なのだが、僕にとってはこのアルバムの音そのものの中に「夏」が存在しているのである。
それは、エコーの効いたギルモアのスライド・ギターの音かもしれないし、気だるいビートをはじき出すメイソンのドラムかもしれない。
或いは独特の空間を作り出すライトのキーボードかもしれないし、オクターブ奏法を多用してばかりの割には意外にファンキーなウォ-ターズのベースかもしれない。
或いはフロイドと共同でこの作品を作り上げたロン・ギーシンのオーケストラ・アレンジかもしれない。
いや、それら全てがあってこそ、このヴァイブを発しているのかもしれない...。
ただまぎれも無くその音の中に、この蒸し暑い夏の日中に漂う陽炎のような幻影を見出せるのである。

よ~っし、こういう今日みたいな真夏日には大音量でこのCDをかけまくってやるぜ!
そして「むかつくばかりのこやし」になってやるんだ!
などと、訳の分からない事を思いながらじっくりと作品を聴き入った。

LPレコードでは片面を埋め尽くす組曲「Atom Heart Mother」で幕を開ける。これは邦題が「原子心母」という摩訶不思議なタイトルだが、まずはこの邦題のセンスには脱帽せざるを得ない。
何処の何方が考え出したのか知らないが、フロイドの日本でのイメージ作りに大いに貢献したに違いない。

今でこそフロイドのアルバムと言えば「狂気」が筆頭に上がるのだろうけど、この作品が発表された当時はフロイドの最高傑作と絶対に言われていた事だろうと今日聴きながら改めて感じた。
単にオーケストラとロックの融合と言う当時色んなバンドが果敢に挑戦したテーマが成功した形で具現化されているだけでなく、あくまでも美しく連なる音の塊と斬新でありながら普遍的な前衛が同居しているのがこの作品の素晴らしさだと思う。
当時イギリスでは、国歌をこの「原子心母」に変えようという運動が起こったとか....。
ジャケットも滅茶苦茶インパクトのある傑作だし、アルバム・タイトルも変だし、どんな風に録音されたのか未だに不思議な箇所が多々存在するし、全く驚くべき怪物的作品である。
こういう怪物的作品って言うのは、アーティストの意志や力量を超えて色んなことが次々に思いもよらぬ方へ好転して出来ていくもんなんだろうね...。

LPレコードのB面にはコンパクトでピンク・フロイドらしからぬポップな作品がずらりと並んでいるが、これらがまた可也良い。
ロジャー・ウォーターズの作品「If」はロック評論家?渋谷陽一氏も絶賛のフォーク調の名曲。
ここに歌われているウォーターズの苦悩は後々の「ザ・ウォール」まで引きずられていく。...というか、その次の「ファイナル・カット」では更なる苦しみが歌われている...。
リック・ライトの「Summer '68」はビートルズっぽいメロディアスでポップな曲。
中間のブラスのアレンジが、サイモン&ガーファンクルの「Keep the Customer Satisfied」っぽいな~と思うのは、僕だけだろうか?
個人的にお気に入りの作品。
デイブ・ギルモアの「Fat Old Sun」も組曲「Atom Heart Mother」同様に夏の倦怠が蒸気になってゆらゆらと揺れていると言った感じの名曲。
これを聴くと、う~ん、やはりフロイドのリード・ヴォーカリストはギルモアでないと~、などと思ってしまう。
「Alan's Psychedelic Breakfast」はインストの3部作。
ピアノ曲、アコギの曲、ピアノ主体(数台のピアノでやってる?)のバンド演奏、そしてそれらの合間合間に朝食を作って食べるまでのSEが入ってくる。
ここらへんって、アラン・パーソンズに負う所が大きかったのかな?
じゃなければわざわざタイトルに「アランの...」とは入れないもんね...。
しかし、まあ、全然関係なけど、このSE にも出てくる欧米の朝食って朝から脂っこいし、何か変化ないよね~。
ベーコン、ソーセージ、シリアル....。
それに比べ日本の朝食の何とヘルシーな事。
白飯に納豆、味噌汁...。
アメリカに来た当時はこの脂っこい朝食に中々慣れなかったけど、今ではコーヒーとドーナッツだけとなんていう朝食ですらОKになってしまっている自分が怖い...。
人なんて何処に行っても適応していくんだろうね...。
と言う事で今では上のように不満を言いながらも、朝食と言えばベーコン、ソーセージになっています。

このアルバム発表当時、日本の電気屋さんではステレオの音チェックにはこのレコードが使われていた事が多かったと聞いた事がある。
(電気屋でバイトしてた時に聞いた話。)
そんなフロイドの超名盤、「Atom Heart Mother」。
この夏「マザー牧場」辺りに行って、大音響でかけて白昼夢に陥るのも乙かも知れませんな~。


2007/4/18

ヴァージニアでの惨劇は昨日ラジオで聞いて知った。
最初の報道では犯人を中国人と言っていたが、知らない間に韓国人に訂正。その間僕はラジオをず~っと聞いていたが、誤報に対する謝罪は知る限り一切無かったように思う。

この事件が起こる前は人種差別的発言をしたラジオのホストのニュース一色だった。
この男は発言の非を認めてはいたが、「I am a good man」と言っていた...。


そして今日僕はオーティス・レディングの死後の1968年に発売されたこの編集盤を聴いていた。
タイトル・トラックの「The Dock of the Bay」は彼の代表曲と言っても良い程有名ではあるが、軽快なリズムや親しみやすいメロディとは裏腹に、やるせない嘆きが歌われている。

I left my home in Georgia
Headed for the 'Frisco bay
'Cause I've had nothing to live for
And look like nothin's gonna come my way

So I'm just gonna sit on the dock of the bay
Watching the tide roll away
Ooo, I'm sittin' on the dock of the bay
Wastin' time

以前にもふれた事はあるが、歌と言うものは歌う人間やシチュエーションによってその歌の意味する事が様々な形に変化をする事がある。
この歌を、例えば北島三郎が歌うのと、オーティス・レディングが歌うのとでは大きな隔たりが出来てくるのである。
つまりオーティスの歌う「The Dock of the Bay」の行間には、アメリカに深く根ざしている人種差別と言う壁が存在しているのである。

「Open the Door」と言う曲でも、

Let me in, let me in, let me in, let me in,
let me ease on in
Look into my eyes
Can't you see I got to come on in
I ain't lyin', and I ain't smilin''bout it, baby
Open the door or I'm bustin' in
Because this runnin'around
Sure 'nough, sure 'nough, is killin' me

と、その壁に向けて歌われているように僕には聞える。
この歌を聴いていた時、ポール・マッカートニーの「 let em in」と言う曲を思い出した。

Someones knockin at the door
Somebodys ringin the bell
Someones knockin at the door
Somebodys ringin the bell
Do me a favor,
Open the door and let em in

とポールらしい優しさに溢れた曲なのだが、白人であるポールはあくまでも let em in 「彼らを中に入れてあげようよ。」と言う立場であり、それとは対照的に黒人のオーティスは Let me in, 「中に入れてくれ。」と言う弱い立場であるのが分かる。

同じように Open the door と歌われているにも拘らず、この立場の違いに気付いてくれないと、ポールの優しさは無駄に終わってしまうし、またいつまでもオーティスの叫びが止む時が来ないように思う。


2007/3/17

いや~、ニューヨークは再びすっかり雪景色になりましたな~。
嫌だな....。
車の運転大変だからな~。
でも不思議な事にマンハッタンなんかは雪の方が運転しやすいんだよね。
まず車両数が明らかに少なくなるし、荒い運転する輩も減るし、ポリスのパーキング取り締まりが甘くなるようだし....。
悪い事ばかりじゃないんだけど...、でも嫌だな....。

と言う事で...。
冒頭のトピックに全く関係なく話が展開しますが...。

僕の個人的な嗜好、思考、と言うのは中学生時代から変っていないんですと言うお話を...。
まあ逆に言うと中学生時代から精神的進歩なしにただ年を重ねていっただけなんですが、普通思春期に人は恩師やら友人やら文学やらに影響を受けてその後の人生の活路を見出すものなんでしょうが、それが僕にとっては中学時代に熱中し影響されたビートルズだったんですね。
だから基本的な僕の物事の価値観は、音楽の嗜好は勿論、普段の生活の中でもは未だにビートルズが基準に置かれているんです。これは中学生時代から全く変る事がないんですな~。
以前仕事の話を同僚としていた時に、例え話をビートルズのネタでしたら、彼に「お前は何でもビートルズなんだな~。」って苦笑いをされた事がありました。
う~ん、しかしながら「三つ子の魂百まで」、この性分は死ぬまで変らない事でしょう。

そういう人間なもんですから、当然僕の音楽嗜好はビートルズを核にして色んなジャンルへ派生して行ったんですが、一時期ビートルズの擬似サウンドに僕の欲求が向っていった事があったんです。
バドフィンガー、パイロット、グレープフルーツ、はたまたオアシスと言ったビートルズ・サウンド・フォローワー達のアルバムを物色しまくってました。そんな中でアメリカのポール・マッカートニーと言われたエミット・ローズと言う70年代のアーティストのアルバムに僕の食指が動かないわけが無かった。
僕は彼のアルバム色々探してみたんすけど、アメリカのアーティストにも拘らずここアメリカでは彼のCDを入手するのが非常に困難で、暫くの間諦めて探すのもやめていたんすね。でもこの度知人に勧められて再び彼のファースト・アルバムが入手できないかな~っと、アマゾンでチェックしてみたんすけど...。
うっげ~、なんじゃこりゃ~、手に入らない事は無いけど、プレミアがついてて高っ~$$$!これでは手に入らないのと一緒....。
ただ唯一この「The American Dream」と言う彼のセカンド・アルバム?だけが僕の手の届く範囲で販売されていたので...、
お~、よしよし、これをオーダーする事にしよう....。
と言う事で、この間このアルバムが手元に届いたんです。
包みを開けてみると...。
おっ、新品じゃないっすか!しかも今流行の紙ジャケ!いいね~!
しかし中を開けてみると...なんじゃこりゃ!、う~ん、アルバムのジャケットに訳の分からん文字が書かれている...。メイドイン・ロシアか...。だから少し安かったのね...。
まあ、音が聴ければいいんだから...。
早速聴きましょ。(試聴)

いや~、70年代の音だね~!
エミット・ローズは自宅(両親の家?)のガレージをスタジオに作り変え、そこで1人で録音して作品を作っていたようで、非常に手作りな生な感触のする音になっている。
う~ん、こういうの好きだな~。
最近の音楽は音のクオリティが高いけど、こう言う生の音の面白さと言う部分が欠けてるよね。(ビートルズの魅力一部もそこら辺にあると思う。)
彼の作品はポール・マッカートニーのポップな部分を抽出したような感があり、ロック的感覚が多少薄い。
それは彼のとてもナイーブとでも言うべき感性とヴォーカル・スタイルによる物かも知れない。

2曲目の「Pardon Me」で

You might love me

と歌う心境...。
ちょっと自分に自信がないと言うか、相手の気持ちを考えて無理強いしないアメリカ人らしからぬ優しい人柄...。
ポールはあんまりこういった心境を歌ったこと無いよね。
何しろビートルズのポールだからモテモテで、相手が愛してくれるのは当たり前で問題は大概自分側にあったからね。
「I Will」なんかでも、

Who knows how long I've loved you

って歌う位だからね。

エミット・ローズってきっと良い家庭(金持ちって言う意味ではない。)に育った好青年だったんだろうね。
そこら辺は4曲目の「Someone Died」からも伺えるかな。
ただこの曲は身内の不幸を単に悲しむ歌ではなく、昨日ここにいた人が今日はあの世へ言ってしまったと言う生命のはかなさを歌ったもんだとは思うんだけど...。

6曲目の「Let's All Sing 」でジョン・レノンの「Give Peace A Chance」を歌う部分が出てくるんだけど、ここは彼にどういう意図があったのか良く分からない。

アルバム・トータルでかなり楽しめた作品でした。
ファーストも安くなったらチェックしてみよう。


2007/1/9

このところ更新を怠っているので久々に...。
去年、一昨年、とたまたま2年連続で新年の聴き初めがピンク・フロイドだったのだけど、今年は逆に意識してピンク・フロイドを聴き初めとしました。
どれにしようかな~、とCDのラックを物色してたら、彼らのラスト・アルバム(再結成する前の...)であるこの作品を暫く聴いていなかったのを思い出した。
このアルバムはリアルタイムで聴いたんだけど、当時全然ピンと来なかったんだよね~。
...って言うか、今回聴くまで僕はピンク・フロイドのワースト・アルバムだと思っていて、あまり真剣に聴いた事が無かった。
何て言うか、ルー・リードの「ベルリン」をより暗くして、ジョン・レノンの「ジョンの魂」を更に何倍も重苦しくしたようなイメージだけだったんだよね。
それに日本人の僕としては不愉快にさせられるような部分があったし...。
あと一般に言われているように、このアルバムはピンク・フロイドの作品と言うよりロジャー・ウォータースのソロ作品と言った意味合いが強いし。
だってバンドで曲を組み立てていないでしょ、このアルバムでは...。
ロジャー・ウォータースがギルモアのギターとかメイソンのドラムを曲にはめ込んでるだけっぽいもんね。
いや~、でも結論から言ってしまうと、今回聴きなおしてみたら実はこの作品は可也の力作で名盤だと言う事をに気付きました。
ずしんと思いボディー・ブローを腹に受けて、暫く麻薬常習者のようにこの作品を聴き狂っていました。
前作「ザ・ウォール」より更に自分自身の内面をさらけ出しているロジャー・ウォータース。
それを聴衆が受け入れられるかどうかは別にして、これには可也凄まじいものを感じました。

sweetheart sweetheart are you fast asleep, good
'cos that's the only time that i can really talk to you
and there is something that i've locked away
a memory that is too painful
to withstand the light of day

息が詰まる程の苦しみ...。
この苦しみゆえか散々悪態をさらす無様な姿。
オブラートに包むことなく、ここまで自分の姿をさらけ出したアーティストは極わずかではないだろうか?

僕と同じようにこのアルバムがピンク・フロイドのワーストだと思っていた人がいたら、この機会にじっくりと聴き直してみてください。
また聴いた事がない人は是非とも一聴を...。
2006/10/29

いや~、暫く振りの更新になってしまいました。
何だか気分が乗らなかったので、そういう時は無理に書かないほうが良いと思いまして...。
う~ん、でも久々の更新のタイトルが「Bad Day」とは...。
トホホ...。
何だかついてない日ってあるんだよね~。
嫌な事とか失敗とか重なりまくるってのがね。
今日はまるでそんな一日だったな~。

そのせいか帰宅する時に、Daniel Powterって言う人のこの曲が頭の中で鳴ってた...。

So where is the passion when you need it the most
(oh, when you're down)
You kick up the leaves and the magic is lost

'Cause you had a bad day, you're takin' one down
You sing a sad song just to turn it around



う~ん、やはり音楽っていいね~。


2006/7/12

残念な事に、「狂ったダイヤモンド」ことシド・バレットが他界した...。

ロック界にとっては彼はソロ以降全く音楽活動がなかったので生ける屍のようなものだったかも知れないが、実際他界してしまうと何か大きな穴が開いたような気がしてしまう。

エルビス・プレスリーが死んだ時、ジョン・レノンが「エルビスは除隊した時に、既に死んでいた。」と言うような発言をしていたが、実際あのカリスマが生きているのと死んでしまうのとでは大きな違いがあった。

今考えるとシド・バレットもそれと同じような感じがする。



僕にとってのシド・バレットは、2枚のソロ・アルバムよりこのピンク・フロイドのファースト・アルバムの印象が強い。

それは別の世界へ行ってしまう前のシド(いや、もしかしたら既に別の世界へ足を踏み入れていた?)の唯一の作品だからかも知れない。

別世界に住み始めた後のシドの2枚のソロ・アルバムに比べると、この作品は非常にアグレッシブでアバンギャルドな試みをしながらも、とても聴きやすいポップな作品に仕上がっている。

今日1日中このアルバムを聴いていたが、改めて感動の嵐に巻き込まれてしまった。

言葉の意味よりその音とかイメージを主に置いたような歌詞。

バンド名をブルースのミュージシャンから取った割にはブルース色のないポップで美しいメロディの作品群。

デビット・ボウイ曰く「ロックを初めてブリティッシュ・アクセントで歌った...。」というシドのヴォーカル。

「Lucifer Sam 」でのかきむしるように弾くシドのギター。

「Pow R. Toc H.」や「Take Up Thy Stethoscope And Walk 」で聴かれる変な声を組み入れたリズム作り。

恐らくはアルバム「狂気」の「タイム」のSEの元ネタだろうと思われる「バイク」終盤のSE。また「毛のふさふさした動物の不思議な歌」でも登場するSE。

もうあげ始めたら切がないが、これら全てが未だに眩しい位に今でも輝きを失っていない...。

本当に度肝を抜かれる永遠の名作である。





単なるシド・バレットのいちファンであるが、彼の冥福を祈りたい。

プロフィール
HN:
Euge
性別:
男性
趣味:
夢想、妄想、ナチュラル・ハイ
自己紹介:
ジョン・レノンから影響を受けた、
自称、シンガー・ソングライター...。
今日もニューヨークのアストリアで白昼夢。
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